27代目蔵元が目指す ネオ「飛良泉」-前編-

先日はせがわ酒店本社にて、秋田県で「飛良泉」を醸す齋藤雅昭さんにご来社いただき社内セミナーを開催しました。飛良泉本舗に戻って6年目、専務 兼 醸造責任者を務める齋藤さんが「自分の人となりと、どんな日本酒を何のために作りたいと思っているのか知ってもらいたい」といって開催してくださった“飛良泉セミナー”。その内容を皆さまにもお届けします!

はじめに

日本酒「飛良泉」を醸す飛良泉本舗は、秋田県にかほ市唯一の酒蔵。2025年でなんと創業538年目を迎える全国でも3番目に歴史ある蔵で、昭和62年生まれの齋藤さんが27代目蔵元です。

蔵が位置する「にかほ市」は、秋田県南部の霊峰・鳥海山を挟んで山形県と隣り合う地域。蔵の目の前には日本海が広がり、その背には標高2,000m越えの鳥海山がそびえます。その山裾までは車で15〜20分程度。海と山が非常に近い場所に蔵はあります。天然の岩牡蠣やハタハタで有名なにかほ市は まるで滝のように見える量の伏流水が流れていたり、掘る場所によっては軟水も硬水も両方出たりするほど水資源が豊富。「実は日本でもトップクラスの水洗トイレ率なんです」と笑いながら話す齋藤専務に、早速フランクで親しみやすい印象を受けました。

酒造りの道を歩む齋藤さんの決意と祖父の教え

齋藤さんは東京生まれの秋田県育ち。高校まで秋田で過ごしたのち、東京の大学に進学。卒業後7年間は一般企業で営業の仕事に従事しました。

秋田に戻ったのは2017年。「そこで“醪(もろみ)”という漢字が読めるようになったくらい日本酒造りのことを知りませんでした」と齋藤さんは笑います。それから9ヶ月間 秋田市の総合食品研究センターで研修生として醸造について学んだのち、2018年に家業である飛良泉本舗に戻りました。齋藤さんが蔵を継ごうと決意したのは、日本酒造りに並々ならぬ熱意を持っていたお祖父さんの存在が大きかったそうです。

「幼少期に突然『醪の声聞くぞ!』と言って、気温が4〜5度くらいしかない寒い蔵の中で醪がプチプチと音を立てるのを1時間半くらい聞かされたり、深夜に突然たたき起こされて麹の夜勤を見に行かされたり 、小学校2~3年の時には3時間くらい麹の説明をされたり…日本酒の“造りオタク“と言えるくらい熱い祖父でした。その祖父が一代かけて遺してくれたものを大切にしたい―――それが”山廃仕込み“だったんです。」

ここでおさらい:山廃仕込みとは?

「日本酒のもとになる酒母造り」に関わる言葉で、酒母とは大きく 「速醸系酒母」と「生酛系酒母」に分けられます。日本酒造りに必要な乳酸を得て雑菌の繁殖を抑えるために、乳酸菌を一から育てる昔ながらの造り方が「生酛系酒母」です。

その「生酛系酒母」から造られた生酛仕込みの派生形が「山廃仕込み」。生酛仕込みには蒸し米・麹・仕込み水を櫂棒(かいぼう)ですり潰す「山卸(やまおろし)」というとてもハードな工程があります。これを廃止したのが「山卸廃止酛仕込み」=略して「山廃」です。お米を溶かす手助けとして行っていた山卸を行わない代わりに、「麹」の力だけでお米を溶かすやり方です。

現在主流になっている「速醸系酒母」は人工的に培養した乳酸を加えて仕込むため、「生酛」や「山廃」の方がその何倍も手間と時間がかかります。しかしこの造り方にすることでお酒にきめ細やかな酸味と旨味成分が加わり、お酒がより奥行きのある味わいになるのです。

「飛良泉」のこだわりその① 全量“山廃仕込み”

チーム飛良泉の合言葉は、「米一粒も潰さない、綺麗な山廃を造ろう」。  チャーハンのようにパラパラで枯らしきった、衛生的且つ力価の非常に高い麹を造り、麹の力だけで溶かす山廃造りを行っています。現在は若手社員3名と共にお酒を醸造しているとのことですが、齋藤さんが蔵に戻ってから、特に山廃仕込みに関しては試行錯誤を繰り返したそうです。

「綺麗な味わいの山廃」を造るにはどうしたらいいのか―――。齋藤さんが蔵に戻って1~4年目は酒母のタンクに窒素を充填し、窒素による冷却効果と酸素遮断で菌が増殖しないようにしてみたり、異物混入が起きないようにしたり、汲み水歩合を細かく変えたりしたそうです。しかし日本酒にとってよくない香り(オフフレーバー)が出てしまったり、理想とする酸が思うように出なかったりしたことでお酒の口当たりが硬くなり、お燗映えしない味わいになってしまったりとなかなか理想の味わいにはなりませんでした。

そこから現在は窒素を充填する方法ではなく、打瀬(うたせ)の温度を2度ほど下げて汲み水の割合を減らし仕込む方法へ変更。酒母を仕込んだ翌日にタンクの中を覗くと、上の部分は “炊飯器でお米を炊き、炊き上がって蓋を開けた光景”のようにお米の粒がそのまま見えますが、底の部分は麹の力でしっかり溶けていて、それをひっくり返して溶かして…またひっくり返して…を繰り返すそうです。「最初の数日は米が溶けきっていないため粘度が高く、ひっくり返すのが本当に大変で、酒母担当は利き腕がムキムキになりました。溶けてくるとやりやすいんですけどね。」と齋藤さんは笑います。

「そして僕が山廃にこだわる理由は“祖父の影響”に加えてもうひとつ。山廃だからこそ生まれる”酸味“にあります。日本酒を料理に合わせて飲むこれからのライフスタイルに、酸味が欠かせないと思っています。山廃ならではの酸味は出しつつ、これまでのクラシックで飲みごたえのある“山廃”のイメージとは違う『圧倒的に綺麗な味わいの“ネオ山廃”』を追求していきたいです。」

「飛良泉」のこだわりその② 蔵内大改革!

山廃造りで綺麗な味わいを出すために、とにかく気を付けなければいけないのが衛生面です。明治15年(1882年)に建てられた蔵は、雨漏りや設備の劣化に加え、蔵が海に近く塩害で金属が全て錆びてしまうなど毎日のように何かしら修繕すべき箇所が出てくるそう。ここ数年でできた蔵ならいざ知らず、これは永く続く蔵だからこその苦労です。

齋藤さんが蔵に戻ってからは、蔵のスタッフとアイデアを出し合いながら衛生面の向上と動線の改善にも力を注いできました。大型タンクの撤去にはじまり、デッドスペースが多かった「麹室」の整理、高い湿度が課題となっていた麹の枯らし場の改良、道具や布の乾燥室の設置など、こつこつと工夫と改良を積み重ねています。

さらに、蔵内の改革はハード面だけに留まりません。齋藤さんが蔵に戻ってからほどなくして、経営は26代目蔵元であるお父さんが、醸造は杜氏が担当するというそれまでの「杜氏制」ではなく、自身が蔵元杜氏として経営と製造責任者を担うようになります。

「前杜氏は非常に酒造りが優秀で、全国新酒鑑評会ではかなりの確率で金賞を獲得するような実力者。名杜氏ひしめく秋田県で周囲から認められる杜氏になることは相当難しいことです。その杜氏からバトンを引き継いだからには、1年目から酒で結果を出さなければ、今まで守ってきてもらった飛良泉のブランドを傷つけてしまうと考え、大変なプレッシャーでした。」

次回、後編では日本酒を語る上で欠かせない「水と米」の話や、齋藤さん好みのスタイルを追求した「飛良泉 山廃純米 米違いシリーズ」についてお伝えいたします!

>>27代目蔵元が目指す ネオ「飛良泉」-後編- はこちら

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